
広島県竹原市。こちらにある大久野島はうさぎの島として有名で、老若男女に人気があるスポットである。現在観光客を癒す島はその昔、要塞であり、毒ガス島でもあった。うさぎの島に隠された過去の痕跡を探しながら、島を散歩してみた。
第一章 うさぎの島
出発はこちらから
ここは竹原市にある忠海港。

大久野島へ行くための出発地点。大久野島に上陸するには、ここからフェリーを利用する。
どこを見てもうさぎがいる。


うさぎに会いたくてたまらない、そんな気持ちにさせる。
ワクワクが止まらない。
楽しむために
忘れずにエサを買いましょう。売店で販売中。

売店で買ったエサの袋を持ち帰り、レジで渡すといいことがあるかも!
自宅から野菜を持ってきてもOK。ゴミはちゃんと持ち帰りましょう。
フェリーチケットも売店で売ってるので忘れずに。

乗船。

フェリー内にも抜かりなく、うさぎがいる。
15分後、大久野島上陸!

あれ?うさぎどこ?居ないじゃないか。。。

とりあえず歩いてみる。
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ため息が出るほどかわいい。ニヤニヤが止まらない。
完全にうさぎの思うツボだ。
でもそれでいいんだ、こちとら癒されまくっておる。




第二章 ラピュタはここに存在した
目的地はここ(MAP)

フェリーが発着する第2桟橋から北に向かっていく。そうするとまず現れるのが北部砲台跡。そこから巨大な鉄塔がある方へ山を登って行くと中部砲台跡が現れる。今回はこの2箇所のスポットへ向かう。
ラピュタポイント① 北部砲台跡

ここはおとぎの世界?


ついつい、ロボット兵を探してしまうような場所。ここが大久野島北部にある、北部砲台跡。
大久野島にある砲台跡は、芸予要塞時代のものである。
芸予要塞とは、敵艦隊が瀬戸内海に侵入してきた際に沿岸の大阪、広島、呉を防衛するために瀬戸内に設置された要塞のことで、大久野島には多くの遺構がある。日露戦争が始まる前の1897年頃から建設が始まり、1902年に完成したといわれる。


日露戦争時代、瀬戸内海に敵艦隊が侵入してこなかった為、芸予要塞は使われることなく廃止になってしまった。設置された大砲の一部は前線に移設された。芸予要塞は攻撃を受けなかったことで、現在まで美しい状態で残っているのだろう。

トンネルと抜けると発電機関舎のある広場へ。

トンネルの下には火薬庫として使われていた部屋が。

大砲の弾を格納した側庫。

中から見た図。
ラピュタポイント② 中部砲台跡
続いて中部砲台跡へ向かう。
大久野島の中心に大きな鉄塔が立っている。
とっておきのラピュタスポットがあるのは実は、この鉄塔が設置されている山の頂上。


先ほどの北部砲台跡の広場の奥に見える遊歩道。
こちらが中部砲台跡へ繋がる道。
小道をひたすら登っていくと…

着いた!

見えた!

うさぎが異世界へといざなう。
1918年に芸予重砲兵大隊が廃止されたことにより、1924年に芸予要塞も廃止された。そんな当時の面影をしっかり残している中部砲台跡。

そして、本当に天空の要塞であるここは、天空の城ラピュタのスポットとして、その名に相応しい。






ちなみに、中部砲台跡に向かうときに目指していた鉄塔は、日本一高い送電鉄塔みたいです。
日本一〇〇なスポットが好きな方は是非。
第三章 毒ガス製造の島
地図から消された島
大久野島は地図から消されていた時代がある。世界中に内緒で、こっそりと毒ガスを作っていたという。1927 年から大久野島には多数の施設が建設され、1929年から15年間、毒ガスを製造していた。
現在でも一部の施設や資料が残されていて、見て回ることができる。
発電場跡へ

フェリーで大久野島に向かっているときに、謎の建物が見える。なにこれ。鮮やかな瀬戸内の風景の中に紛れる、灰色。
まずは、この建物に向かって歩いてみる。
島に着いたらみんなが向かうルート(休暇村方面)とは逆に進む。フェリーを降りたら右に進む。
そうすると見えてくる、このトンネル。

トンネルにある「MAG2」の文字。MAGとはMagazine(弾薬庫)のことで、朝鮮戦争時代に米軍が弾薬庫として使用した建物に書かれている。
トンネルを抜けると…

圧倒的存在感。
恐怖すら感じる異様な雰囲気。
ここは、毒ガス製造の工場ではなく、発電場跡。取り壊しが決まっていたが、大勢の署名のもと中止された。今後修復される予定はなく、風化を待つのみとなっている。自然界に飲み込まれていく経過を見ていきたい建物だ。



再利用された戦争遺構
そのまま奥に進んでいくと現れる、第二章のラピュタスポットで訪れた北部砲台跡。こちらは日露戦争に向けて作られた施設だが、のちの毒ガス製造時代にも利用されている。

砲台跡に土台をつくり、ここに毒ガスのタンクを置いていた。
毒ガス貯蔵庫跡
そのまま奥に進んでいくと現れる、山間に隠れるように建てられているこちら。

こちらは、長浦毒ガス貯蔵庫跡。
当時は海上から見えないように、建物の前に3〜4mの山を作り、コンクリートを迷彩色に塗っていた。
当時、島で一番大きい毒ガス貯蔵庫だったここには、島内で作られた1/5の毒ガスが貯蔵されていたという。
壁面の黒い跡は除毒のために火炎放射器で焼かれた跡。

この島での年間の毒ガス生産量は多いときで1500トン。稼働していた15年間の総生産量は6616トンと言われている。
こちらは三軒家毒ガス貯蔵庫跡。


自動交換機室跡
最後に立ち寄りたいのはこの場所。

自動交換機室跡。
ここは非常の場合に備えた電話の自動交換機が置かれていた。非常事態の時に使用されるため、場所を隠すようにコンクリートに迷彩色を練り込んで作られているため、現在でも緑色が目立っている。

毒ガス関連施設は他にも

屋外に展示された陶磁器製毒ガス製造器具。

研究室跡。

毒ガス製造時代のトイレ跡。

毒ガス資料館。
さまざまな時代にさまざまな顔をもつ大久野島は、多くの人を惹きつけてやまない。
そんなハイカラスポット。
アクセス
大久野島
所在地:〒729-2311 広島県竹原市忠海町
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