妖怪の住む町、鳥取県境港市。2024年には200万人が訪れた、妖怪スポットとして有名な水木しげるロードを訪問。
商店街再生事業を成功させた場所でもある。妖怪を探しながら調査してみた。

スタート地点
境港駅・みなとさかい交流館を出てすぐはじまるのが水木しげるロード。

駅には妖怪の名前付き。

電車も鬼太郎のラッピング電車。
水木しげるロードが始まる前から妖怪たちが迎えてくれる。ワクワクが止まらない。



ここから水木しげる記念館まで続く800mの道のいたる所に妖怪が暮らしている。
水木しげるロードの歴史
水木しげるロードはどのように成長したのか。

きっかけは、明治時代に国鉄境線が米子に開通したことによる経済効果により商店が作られたこと。これが水木しげるロードの基礎にあたる。昭和10年頃、大火や事故により消失したが、戦後に商店街として復興・整備される。
昭和40年頃に商店街の盛り上がりの時期。しかし時が経つにつれ高齢化、人口減少などにより衰退していく。

鬼太郎がやってきた

鬼太郎などのキャラクターを採用したのは1992年(平成4年)のこと。
商店街を再復興させるため、シンボルロード整備事業として境港市出身の漫画家、水木しげるのイラストが採用された。
翌年の1993年にはブロンズ像が設置される。
当初の計画800mよりも大幅に短い200m区間に合計23体を設置し、水木しげるロードとしてオープン。
水木しげるロードオープン1年後には、鳥取県景観大賞を受賞する。それを皮切りに徐々に来場者数が増え、町おこしとして成功、現在に至る。

妖怪神社

一反もめんの鳥居と目玉のオヤジの清めの水。
1998年頃、第1ピークの50万人の観光客数が横ばいとなり、商店街関係者達が振興のために民間で建立した神社。出雲大社の神在月をヒントに8月を霊在月と定め、妖怪達の集まってくる月として定着させた。
そこから来客数は増加していくこととなる。

神社建立の際、水木しげるが御神体に入魂した。

妖怪念力棒。
何度も訪れたくなる
2019年に来場客数300万人を突破し、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている水木しげるロード。初めて訪れる人が大半だが、客数を増やしているのには他にも理由がある。


リピーター数の増加である。
というのも、この商店街活性化は今もなお続いており、地場の会社の協力のもと、たくさんの面白いお土産が売られている。


商店街の店舗使用率は90%を超えるほど。空き店舗はほとんど無い。
来るたびに新しいお店が入っているのも魅力の一つである。
商店街の中は妖怪のコンセプトをバッチリと捉えたものが多く、テーマパークとして、また観光事業として大いに栄えている。
ブロンズ像



この水木しげるロードの楽しみとしてオープン当初から増え続けており、リピーターを楽しませている仕掛けのひとつ。それが800mの道の各所に設置されているブロンズ像である。(私も隅から隅まで像の写真を撮りまくって楽しんだ一人である)
現在では177体ものブロンズ像が設置され、妖怪の町の雰囲気を強くしている。
ブロンズ像100体を目指していた2004年頃、1体100万円でスポンサーを募ったところ、23の応募が来たという。数年に1回スポンサー募集をしており、ブロンズ像は増え続けている。



レトロな商店
水木しげるロードは、新しいものをどんどん取り入れている。しかし一方で、古くからあるものを大事にしている。昔ながらの商店の趣きが残っているのもこの商店街の魅力だ。



老若男女が訪れたくなってしまう水木しげるロード。
もしかすると妖怪の仕業なのかもしれない。
そんな、ハイカラスポット。
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