
東広島市に位置する景勝地「どんどん淵峡」。戦国時代の悲劇、櫓から落ちた太鼓、そしていつしか上書きされた河童の噂。 なぜ、人々の悲しみは「河童」という形を選んで語り継がれることになったのか。今回は、今はもう聞こえない太鼓の音を追いかけて、水底の住人たちが支配する「どんどん淵峡」を探索する。
どんどん淵峡の河童

先日紹介した「B’zかかし」からすぐ近く。静かな峠道の脇に突如として現れる「謎のUMAオブジェ」の群れ。ここの名前は「どんどん淵峡」と呼ばれている。いにしえの悲劇と、奇妙な河童伝説が交差する、唯一無二のスポットである。
この風変わりな地名の由来は、戦国時代にまで遡る。 攻防の末に命を絶った城主。主を失い櫓から落ちた太鼓が、滝に打たれ続け「どんどん」と鳴り響いたという。それでこの地は「どんどん淵峡」と呼ばれるようになったと言う。そんな悲しくも激しい物語がこの地のルーツである。
しかし、不思議なのはその先。
城主を愛惜しんでなのか、「どんどん淵峡」に河童が出るぞ!と噂され、河童伝説として今日に伝わっているようである。太鼓の音が河童の足音に聞こえたのか。 今や、どんどん淵峡の主役は、城主から「河童」へと鮮やかに上書きされている。



そのために、この「どんどん淵峡」の周りには河童のオブジェがたくさん設置されている。

そして、「どんどん淵峡」の案内板のすぐ隣には、淵の方へ向かって伸びる道。この先には「安宿河童神社(河童恵比寿神社)」が鎮座している。

参道の途中に祀られているのは、2体の河童像。
かつて熊本県で目撃した「ポケットパーク湧水」の河童像と、驚くほど酷似している。河童界にも「標準モデル」があるのか、それとも河童たちが水脈を伝って阿蘇から広島へと遠征してきたのか。そんな想像を膨らませるのも、ここを訪れる醍醐味と言える。



進んでいくとさらに増えていく、河童たち。


一番奥までいくと、河童が祀られているのか、いくつかの祠がある。
かつて淵を震わせた「どんどん」という太鼓の音は、今やもう聞こえない。 だが、その消えた音と引き換えに現れたのが、この数えきれないほどの河童たちだとしたら、彼ら(彼女ら?)は城主の無念を鎮めるために、あるいは自分たちの平穏を守るために、今もその手で太鼓の音を隠し持っているのかもしれない。
伝説は音を潜め、形を変え、巨大なオブジェとなって私たちを待ち受けている。 次にあなたがこの淵を訪れるとき、もし耳の奥でかすかな響きを感じたなら、それは太鼓ではなく、河童があなたを手招きしている合図かもしれない。
そんな、ハイカラスポット。
アクセス
どんどん淵峡
所在地:〒739-2316 広島県東広島市豊栄町安宿
見学時間:24時間
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